ITUの技術協力活動の経緯
ITUにおける技術協力活動は、1952年に国連の技術協力援助評議会の正式メンバーとして認められ、国連拡大援助計画(ERTA)に参加したことに始まる。
1959年ジュネーブ全権委員会議において、技術協力の実施に関するITUの役割を電気通信条約に明記するとともに、ITUの国連諸計画への参加に関する決議が採択された。これに基づき、1960年にITUの事務総局内に技術協力部(TCD)を設置し、国連技術協力局が実施していたERTAへの管理業務がTCDに移管され、ITUの技術協力活動は、TCDにより主として国連開発計画(UNDP)の資金提供による開発プロジェクトの実施、研修員の受け入れ、専門家の派遣等を行っていた。
ITUにおける開発途上国メンバーの増加に伴い、途上国からITUはUNDPの実施機関にとどまらず、ITUの通常予算によっても技術協力を実施すべきであるとの主張が強まり、ナイロビ全権委員会議(1982年)では途上国と先進国の対立の結果、「電気通信の世界的発展のための独立委員会(メイトランド委員会)」を設立し解決方法の検討を託することとなった。
独立委員会は5回の会合を経て、1985年に最終報告書「失われた輪」を提出した。同報告書では、「すべての人々が、21世紀の初頭までに電話を容易に利用できるようにすること」を目標として掲げ、この目標を達成するための手段として、電気通信開発センター(CTD)の設立を勧告した。
CTDは、ITUの枠内にはあるがTCDとは別個の半独立的な組織であり、その運営資金は、すべて各加盟国、民間企業等からの任意拠出により賄われることとなったが、結局不安定な任意拠出では十分な資全が集まらず、CTDの活動は活発化しなかった。
ニース全権委員会議(1989年)では、CTDに期待できないと感じた途上国がITU内に本格的な開発の組織を設置するよう求めた結果、TCDを改組拡充し、CCIR、CCITTと並ぶ組織として、電気通信開発局(BDT)の設置が決定された。BDTは、ITUの正式な組織としてITUの通常予算が割り当てられることとなり、ITU独自の資金による開発活動が本格的に実施されることとなった。またニース全権委員会議では、電気通信開発会議の開催も決議された。BDTは、1990年から活動を開始し、1992年1月にはCTDを統合し、CTDの任意拠出制度はBDTに継承された。
1992年の追加全権委員会議では、ITU全体の組織・機能の大幅な改革が行われ、開発は、無線、標準化とともにITUの3つの主要活動として位置づけられ、組織的にはITU-T、ITU-Rと並んで電気通信開発部門(ITU-D)が誕生した。
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